ツールドシンカラ2013 

UCI2.2


期間6月2日〜9日

インドネシアスマトラ島で開催されたツールドシンカラにTOJに引き続き、ジャパンナショナルチームとしての参加の機会を与えて頂きました。

TOJに引き続き、秋丸、山本隼、和田選手に加え、ブリジストンアンカー六峰選手、日本大学板橋選手、東北学院大田口選手というメンバーで戦いに臨みました。

ステージ3位以内、総合成績8位以内に与えられるUCIポイントの獲得をチームの目標に掲げました。



5月30日

成田空港を出発しインドネシアの首都ジャカルタを経由しパダン空港に行き、そこからST1が行われるブギテギのホテルまで車で移動しました。

大学1回生の時に第二言語としてインドネシア語を学んでいたので、ジャカルタ空港の待ち時間の間に現地のおばちゃん軍団とちょとした会話を楽しんでいました。

ブギテギのホテルに到着したのは、深夜だったのですぐに眠りにつきました。



6月1日

朝の4時から町のスピーカーから大音量で流れてくるお祈りの言葉に起こされては寝てを繰り返し、遅めの朝食を済ませ、明日のst1のコースを2時間走りにいきました。

インドネシアは、とにかく暑く、道も凸凹だらけで走りにくいという感じで、明日からのレースは厳しいものになると覚悟しました。

総合成績が大きく動くであろうと予想されるst3、st5でいかに総合成績を上げられるかが自分の中での勝負だと考えていました。



6月2日st1 ブキティンギ〜ボンジョル 104km

1位アリレザ・アスグハルザデ(イラン、タブリーズ・ペトロケミカル)

35位 木村圭佑


コースは前半は下り基調で中盤に2つの3級KOMが設定されていました。

初日なので暑さに体が慣れていないため無理な動きはせず、周りの選手の動きを確認したり、チームカーにボトルを取りに行く作業をこなし、メイン集団でゴールしました。

70kmのKOMでは、集団がばらけたのですが、遅れることなく上れていたので調子は悪くないと感じました。



6月3日st2 パヤクンブ〜シンカラ124.5km

1位ヤコブ・カウフマン(オーストラリア、バジェットフォークリフト

60位 木村圭佑



コースは、スタート後10kmほどに2級KOMがあり65km地点にも2級KOMがありその後は下ってシンカラ湖にゴールするというコース。

スタート後のKOMは問題なくこなせました、2つ目のKOMに差し掛かる前に六峰を先頭にジャパントレインを組み位置取りし比較的、前の方で上りに突入、上りの距離は8キロほどあり勾配はそこまで厳しくないのでスプリンターもちらほら残っている感じでした、しかしどちらかというと僕にとっては嫌いな上りの種類だったので苦しみましたがメイン集団で超えました。シンカラ湖に出て、バジェットフォークリフトの二人が強烈なアタックを決め、終始集団をコントロールしていたタブリーズが追走を諦め逃げきりを容認しました。明日に備えてメイン集団でタイム差を取られないように走りゴールしました。

いよいよ明日は勝負のステージです。



6月4日 st3 パダンパンジャン〜イスタノ・バサ・パガルユン208km

1位ヨハン・コエネン(ベルギー、ディフェールダンジェ・レシュ)

12位 木村圭佑


コースは、前半100kmは平坦でそこからは、3級、1級、2級、2級山岳を走る208kmと長くて厳しい設定でした。

ポイントは、3級KOMの後の1級KOM通称「ケロック44」にいかに良い位置で上り始められるかということ。

レース前から良い緊張感があり集中してスタートに並びました。前半100kmはリーダーチームのコントロールのもと消化しました、3級KOMの前から集団の雰囲気が変わり、位置取りが始まりました。

ナショナルチームも六峰を先頭に位置取りを開始、しかし六峰がパンクで後退したので秋丸の後ろについて位置取りをこなしていました。3級KOMを超え、1級KOMケロック44へ向かいました。

やはり、みんな考えることは一緒で良い位置でケロックに入りたいので位置取りも激しく、肝心なところで後方に下がってしまい、そのままケロック44に突入、最初の激坂区間を過ぎると、集団がスローダウンしていったので何事かと前を見ると大木が倒れ、自転車がやっと通れるくらいしか道がなく、チームカーが通れないということで、一時レース中断というアクシデントが発生しました。自分にとってはこのアクシデントに助けられました。

20分ほど経過しレースが再開されました。逃げ集団とは、中断前のタイム差でスタートしました。再スタート後、一気に集団はバラけ、自分も中段ほどでケロック44を超え、僕と板橋を六峰の引きで、秋丸、和田のいるメイン集団とのタイムギャップを詰めてもらい、次の2級KOMを下った所にある174km地点のspポイントでメイン集団に追いつくことが出来ました。追いついたときに、メイン集団から数名アタックをかけているのを見て、最後の2級KOMでエース同士のペースアップには今日のケロック44を上った感触からは悪い展開になると思ったので、上れている秋丸にアタックすると伝え、メイン集団からアタックし前に逃げていた5名と一緒に合流し後はゴールまで回し、スプリントしてゴール。

逃げている間の情報は一切なく、リザルトを確認すると10人ほど先に逃げきっていたので、ステージ12位でした。総合も15位に上がり、チーム総合にも貢献できたのでまずまずの結果で終えました。



6月5日 st4シジュンジュン〜プラウ・プンジュン189km

1位シーケオン・ロー(マレーシア、OCBCシンガポール

93位 木村圭佑


コースは、69km地点に3級KOMが一つだけの設定で集団スプリントになると考えていました。

リーダーチームがタブリーズから代わりCCDチームになり、前半は集団をコントロールしていましたが、イラン勢などの攻撃をくらいコントロールしきれず崩壊し14名のグループに逃げ切られてしまいました。

14名の逃げにナショナルチームから一人も乗せられていないのは失敗でした。



6月6日 st5サワルント〜ムアラ・ラブー138km

1位アミール・カラドザフ(イラン、タブリーズ・ペトロケミカル)

16位 木村圭佑


大会最大の難所の1級KOMを走るクイーンステージ。スタート直後から3級KOMを上り、45km付近から14kmほどの激坂区間が多々ある上りをこなし、その後もアップダウンが続くタフなコースでした。

ケロック44に比べて、僕向きな上りと聞いていたので気合を入れてスタートしました。前半から和田と集団前方付近で走り勝負所に備えていました、ケロック44の時の失敗を生かし、強い気持ちで位置取りを行い、当たってこられても跳ね返し、良い位置のまま1級KOMに突入、今までと違い、良い位置で入れたのでついていける、頂上に向かうにつれてメイン集団の数も15名程度に減っている、ナショナルチームは、秋丸が残り少し離れて僕という感じでKOMを通過、何とかメイン集団に追いつき、3級KOMを通過、1級KOMで力を出し切ってしまったのでかなり苦しく、少し離れたりしそうになるが、チームカーから高橋監督の激をもらい復帰していくという感じ、これは自分にとっては大きなチャンスであり千切れるわけにはいかなかった。途中、タブリーズやバジェットフォークリフツの選手がメイン集団からアタックしていったが反応できる足は残っていませんでした。ゴールは、早くにスプリントをかけすぎてしまい16位でゴール。

総合10位に上がり、UCIポイント圏内の8位に1分差と迫り後2ステージでチャンスがあればチャレンジしたいと考えていました。



6月7日 休息日

朝起きると、何か体が動かない、朝食を食べに行くがチームメートの様子がおかしい。集団食中毒が発生し、ほとんどの海外チームがやられてしまいました。

そんな中、少しだけでも外で流そうと思って走りだしましたが、力が入らずダメな感じがしたのでホテルに戻り寝ていると、症状が悪化し39度の熱が出てしまい、点滴を4時間受けることに・・・



6月8日 st6パリアマン〜パイナン144km

1位ロンネル・フアルダ(フィリピン、セブンイレブン

DNF 木村圭佑


点滴と薬のおかげで何とか熱が下がったので、レースを走ることにしました。

体に力が入らず、食事も食べれていなかったのでメイタンを食事代わりに取り、スタート地点へ、ここまで来たら気持で乗り切るしかないと思いスタート。

スタートして1時間ほどたつと心拍が下がらなくなり、補給も吸収しないという感じ、途中、秋丸が調子はどう?と聞いてくれたので大丈夫と答えた、嘘でも大丈夫と言わないとその場で体が動かなくなってしまうと思った。

77km地点の3級KOMに入った瞬間に千切れて、同じような感じの選手と収容車に乗せられ、DNFという結果になってしまいました。



今回の遠征では、食事など体調管理の難しさやメンタル面の弱さが浮き彫りになりました。

この経験したことを活かして次につなげて行かなければいけません。しかしst3、5で総合成績を上げられたということは、自分にとってプラスになったと思います。

高橋監督、メカニックの鬼原さん、マッサージャーの石田さん、現地スタッフのルフルさん本当に有り難うございました。

http://www.cyclowired.jp/?q=node/110431

シクロワイヤードに記事が紹介されておりました。

4回生木村圭佑