記録会 in 琵琶湖競輪場跡

10月1日夕刻、回転寿司をほおばりながら思いついた。
『そうだ、1kmTTやろう!』


明日、10月2日は琵琶湖競輪場で滋賀県自転車競技連盟が主催する
『記録会 for WR』が開催される。
京都産業大学からは、滋賀県登録の木村が出場することは事前にリサーチ済み。
当日会場にいっても一人ぼっちになることはないだろう。
安心しながら僕は、自分のトラックレーサーに思いを巡らせた。
まず、ペダルが無い。サドルも無い。お金も無い。
すぐさま木村に、明日持参するよう手配。快く承諾してくれた。
『出からには目標を設定しないとな』
僕はエリートレーサーなら誰もが夢見る1分20秒切を目標タイムに設定し、
イクラを食べスマートに勘定を済ませ店を後にした。

部屋でトラックレーサーを磨く。
僕のレーサーはその辺をうろつく街乗りピストとは一線を画す。
高校生が駆るアンカーなどとも違う。

今こそは少数派のクロ〜ムモリブデン コロンバスMAXチューブにマイスター中川茂氏が火を入れたスペシャル仕様だ。
そこへ、以前の所属チームの関係上、パナソニックの川崎氏にお願いして、
塗装して頂いたダブルスタンダードな代物!?(意味がよくわからん)


タイヤは最低でも3年前に貼った気がする。
車輪は前輪が90年代前半、日本列島を支配したトレカ3スポークのトラック仕様。
後輪はカンパニョーロ社珠玉のギブリ。
ギアは現在ついている50T×15T(薄歯)。


タンスの奥の方に数枚眠っている90年代後半の京都産業大学ワンピースを手に取った。
(Mサイズに豊と書いてあった)



なんやかんや2時半就寝の6時起床。
肌寒い中、車にレーサーを積み込む作業を楽しみ、山中峠を越えて関西のサンクチュアリ琵琶湖競輪場跡に向かった。


会場近くのコンビニで朝食を買い、食す。
スタート時間までそう無いのに、ガツガツ食べてしまい、現役の頃のスタート前のルーティーンを完全に忘れている自分に気づいて苦笑い。

競輪場で木村からリーガルのサドル・中西(龍大)から105の安もんペダルを受け取り、自分で空気を入れ自転車を準備した。
自転車の準備作業をまだ自分が完全に覚えていることが嬉しかった。


木村と中西は日本が世界に誇る最強の滋賀県登録選手。以前は内林久徳先輩がおられたが、今はこの二人が看板である。
彼ら2人と僕の三つ巴の戦いになることは容易に想像できた。


ウォーミングアップにバンクへ出る。
バックストレートから見る景色は、15歳で初めて競輪場に足を踏み入れたときと同じように美しく、
僕の身体の中を神聖な空気が通り抜けていくような感覚だった。
22年前の自分がそこにいるような、そんな錯覚さえ覚えた。


肌寒い中、周回を重ねる。
まずは自転車と走路に慣れなければならない。
普段の練習はゼロ。バンクは4年振りか。


5周もすると自転車に身体が慣れてきた。
バンクの上にあがりたいが、なんせ古いタイヤなので事故が恐くなかなかあがれない。
木村も周回しているが一緒に回ろうという気配はない。
さすが木村。今日一番の敵に脚を見せたくないのだろう。


しばらく母校瀬田工業高校のチンタラした周回練習のケツでまわる。
身体がだいぶほぐれてきたので、1キロTTの命、スタンディングの練習を行なった。
1本目はなかなか集中できずに、自転車の上で暴れているだけだったが、2回3回と反復するうちに加速感がつかめた。


次はトップスピードの感覚。
中西に先行して貰い、300mをもがいた。
最後の50mで中西をサシにいくが、脚にどう力を入れればいいのか分からずじまいで終了。
まっ どうにかなるか。
僕は満足しながらウォーミングアップを済ませ、検車場に戻った。


滋賀車連の方々が当日エントリーを促してくれる。
こっそり木村にでもウォッチを持たせて計測しようと思っていたのだが、暖かい誘いを断る理由は無かったので受け付けていただいた。


今回は滋賀県で自転車に乗るということで、『EPSON BOSCO』レーシングチームのジャージに身を包んだ。
多くの方々の郷愁を誘うことになるだろうと期待していたものの、2〜3人の方に『もうそんなジャージ知ってる人おらんで』と
つっこんで頂いただけでサラリと流されてしまったのは、今日一番の残念な出来事だ。


200ハロンにもエントリーさせていただいたので参加。
スタート5分前に後輪がパンク。僕は決して慌てず、『中西!後輪や!』
『ハイ!』と差し出してくれたその車輪こそ、我々の世代の多くの選手を苦しめた
『THE カムシン』だった。
腹のなかで『コノガキ、自分はギブリとイオ付けといて俺にはコレかよ』と思ったが、
彼にとってしてみれば今日最大の敵に塩を送るわけにはいかない。
『フッ  そういうことか』
僕は彼の挑戦を受け止めた。
そして黙ってタイヤの擦り切れたディスクのギアを付け替えた。





フライング200m
久しぶりのハロン計測。
記憶では埼玉国体以来だ。
世界記録は9秒86。
僕はミハエル・ヒューブナーをイメージし走路に入った。
まだ朝の冷えた空気が肺に染みわたる。
2コーナーに差し掛かりいよいよ最終加速。フレームが!ステムが!車輪が!悲鳴を上げる。
練習していないのでトップスピードは体感で68km/hくらいか。
ここから空気の壁が僕を押し戻そうとたちはかる。
負けまいとペダルに全精力を注ぎ込むが、そこはやはり練習不足。
僕は敗北を喫した。
脚に力が入らなくなっいく事を確認しながら僕はゴールラインを超えた。


確かに超えた。


しかし超えたかに思えたラインは、実は計測開始のラインであり、全てはここからだという絶望。
僕は500バンクの罠にまんまと引っかかり、14秒余の恥辱にまみれた時間を過ごすことになった。


『ま、1キロやりにきたんやしええアップや』

検車場に戻り、僕は『明鏡止水』の精神でディスクにタイヤを張り終えた。


いよいよ1キロ。
そこらかしこに転がる『イオ』を使いたくてしょうがなかったが、このトレカをつかわずに計測してなんの意味がある?
僕は一瞬でも気が迷った自分を恥じた。




1kmタイムトライアル
自転車競技の全てが凝縮されているこの競技は、いっさいの言い訳を受け付けない。
僕はアレクセイ・キリチェンコの走りをコピーすることで、今日を乗り切ろうと判断した。

今日、1分8秒を切れたら、来期競輪学校の門を叩こう。
1分9秒を切るに留まった場合でも、全てを捨てて、ベルギーに修行にいくか…。
わけのわからん想いを胸にバンクに入る。

周囲に、僕の集中力から発する『氣』が緊張感を生み出していく。


察してか木村がエアロヘルメットを手渡してくる。
もはや始まる前からノーサイドだ。


全ての人々の想いを乗せて、僕はスタート台に付いた。



現役時代はこの時間が大嫌いだったが、今は楽しむ余裕がある。


僕は慌てずゆっくりとした動作でスタートした。
30mを超えたあたりから本格的に加速への動きにシフト。
バックストレートを待たずにシッティングでの巡航。
先ほどのハロンがここにきて生きる。


素晴らしい1周目を終えることができた。
まだ半分しか終えていないが、自分へのジャンが心地よい。


いよいよ身体が動くことを拒否しはじめる。
そんなことは20年前から知っている。
身体中から使える筋肉を探し出し、動員する。


ふと思った。89年のキリチェンコはここからナニか・・・。
そう思った瞬間、僕の腹筋はえぐるように攣った。
ハンパな攣り方ではない。もはや姿勢を維持できない。
ハンドルこそ折れる事は無かったが、心は完全に折れた。


常人では3コーナーのフェンスに突っ込んでいたであろうが、そこは走り慣れたバンク。
なんとか態勢を整え、ゴールまでの敗走を終えた。



最後の150mは脚に力を入れることさえ出来なかった。
周囲の健闘を称える声が痛い。
『僕は腹筋が攣ったことを言い訳にして計測から逃げた』からだ。


結果は1分19秒6


もし、攣っていなければ最後まで惰性で踏んで、あと1秒縮まっただろう。
もしイオを使用していれば、あと1秒縮まっただろう。
もしDHバーを装着していれば、あと2秒縮まっただろう。


あれ?なんや実際は1分15秒くらいか。昔とそう変わらんやん。
よくある発想で僕は気を良くした。
木村や中西も1分12〜3秒の冴えないタイムやし、今日はドローってとこやな。
終ると全てがどうでも良くなり、秋晴れの中気分よく山中峠に向いました。


次は3月か4月に1分17秒目指して頑張ります。



監督  秋田 謙