裏日誌
烏丸丸太町・・・御所の角に午前10時集合。
この場所は秋田の住まいの近く、この時点で今日のレース練習の中心となるのが監督になることは予想できた。
発表されたコースマップは山岳コースで、スプリンターの自分には勝負権が無い事が瞬時に理解できた。六丁峠に向かう平坦部分ではアップも兼ねて軽めのギアで足を回す。秋田が飛ばしているが無視だ。
最初の山場・六丁峠に入り集団は淡々としたペースで進むが頂上が見えた瞬間、一人の選手がスプリントを仕掛けた秋田だ。習性からか思わず反応し抜きにかかるが斜行により進路を狭められ抜くことは出来なかった。
これが平坦のスプリントポイントだったらカベンディッシュばりにヘッドパンチをお見舞いしてコースを確保していただろうが、ここはただの1級山岳の山岳ポイントだ。好きにすればいい。水玉ジャージに興味はない。
とにかく今日のコースでは集団から遅れない事が先決である。
嵯峨蜜原への登りは服部・鍵本とグルペットを形成しダラダラと長い登りをこなした。服部や鍵本の乗車フォームやペダリングで意識すべき点などを指導する。
いつも山などは早く登る事に意識が集中しがちだが、ゆっくりと走り回転を落し筋肉や骨格の細かな動きを意識し効率よく自転車を走らせるコツを身に付ける事も大切だ。早く走るのはその後の段階のはず。
この登りを終えれば、あとはそれほどキツイ登りはない。総合は関係ないがステージを取るためにはここからの位置取りが大切だ。平坦部分でも秋田が細かなアタックをかけるが吉岡、木村、南野たちの動きでいずれも決定打とはならない。
1999年パリ・ルーベで悲願であった優勝をモノにしたアンドレア・タフィばりに独走による逃げ切りを狙いたい所だが、そこまでの脚力は残っていなそうだ。
笠トンネルを抜け、下り基調の平坦部分で南野が集団から飛び出す。若干時間を空けてギアをアウタートップに入れペースをあげた。最後の勝負だ。スピードを載せ切ったあと、先頭交代をすると木村・服部・吉岡・鍵本が付いてきていた。秋田はあきらめたみたいだ。
しかし、ここから木村が一人でそのままのハイペースを持続し先頭を引き続ける。苦しい。ここで無理やり食らいつくか、無理をせずすぐ後ろに迫る中村・南野の追走グループに入るか???
無意識的に後者の楽な方を選んでしまった。
しかし、南野がなかなか良いペースで引っ張っている。さすが毎日大阪から自走で通学してるだけのことはある。京見峠に入る手前で南野がさらにペースアップし先頭に追い付く。それに食らいついていき何とか集団で峠に入ることができた。
ここで集団から遅れた秋田を放っていけば、ステージ優勝も見えたも知れないがペースを落とし総合リーダーの集団復帰を待つ。学生たちはそんな事気にもせずに行ってしまった。薄情な奴らだ。
そんな時、秋田から携帯に電話が・・・トラブルか?
いや違った。戦線離脱の一報だった。
ステージ早々で膝が痛いと散々駄々をこねた挙句リタイアしたペタッキに付き添っていたアシスト陣たちが集団に戻る時の気持ちがその時なら理解できたかも知れない。
京見峠後半に向け徐々にペースを取り戻し、頂上でオールアウトすべくだんだんとギアをかけ負荷を上げていく。頂上手前で吉岡・木村以外の選手は何とかパスする事ができた。
最後の下りはゆっくりと安全に下り、今日のレース練習を終えた。先に下っていた吉岡はもう一度逆側から登って来ていた。こういうプラスαを自分に課す所はほかの選手も見習ってもらいたい。
鷹峰で解散し、車を停めていた円町を目指す。ここからは自由落下で行ける場所だ。今日のコース設定を事前に予想し、最終的にどこに車を停めておけば一番楽に帰ってこれるか?この予想はズバリと的中した。
学生たちは後半のジャパンカップ、そして来年に向けて新たにスタートを切った。3日後、3か月後、3年後、自分がどうなっているのか?しっかりと意識を持って頑張って行ってもらいたい。
20年前より続く、監督・秋田との勝負はまた今回も決着が着かなかった。次回におあずけだ。
山岸@コーチ