ツールドソウル

11月8日(日)に韓国のソウルで、ツール・ド・ソウルが行われるためにサポートととして参加してきました。
西日本学生選抜として京都産業大学からは山森さん、湊さん、広浦さん、中京大学の中根選手、環太平洋大学の小村選手が出場し、山岸コーチに引率していただきました。
6日の夕方に関西国際空港を出発し、飛行機に乗りました。飛行機を紙飛行機の大きさにすると、紙のほうが重たいという事実が発覚し、自転車のフレームもJALNASAが作ったらいいのにと思いました。現地で中根選手と合流しホテルに行き、とても豪華な夕食をいただき、とてもきれいな部屋に宿泊しました。日本と違い、言語がなかなか伝わらないことやややこしい手続きが多かったためとてもみんな疲れていました。
7日の朝9時半ごろに選手たちは、マトリックスパワータグの選手たちと試走や、調整をかねて3時間ほどのライディングに行きました。その間に、山岸コーチとともにソウル市内を少し調べるためにソウル市庁やスタート地点など当日迷わないようにしました。町なかでは、至る所に交通規制の看板や大会のポスターが貼られており大会の規模の大きさを感じました。ひとつ路地に入ると、コテコテの韓国人がキムチや怪しい食材を大量に作っており、これが韓国の自転車選手のパワーの源なのかと思いました。


8日のレース当日は4時半に起床。昨日の夜から雷が鳴り響く大雨。アップクリームなどを入念にぬり、寒さへの対策をしました。しかし、補給やレースに対する少しの準備のたらなさを指導されました。大雨のなか、レースが5分遅れでスタート。山岸コーチ運転のサポートカーに乗り込み、通訳のチャンさんと3名でレースを観戦しました。
パレードスタートで、正式なスタートまでに落車があいつぎ中根選手が巻き込まれるが、集団復帰。15キロ地点の約30分遅れでスタート。SPPは42キロ地点に設定されており、そこまでに細かいアタックや逃げが形成されるが、すぐに吸収される。コースが高速道路ということもあり、逃げが決まりにくい。SPPをむかえ、残り半分を過ぎたあたりで、この大会のチャンピオンである、地元ソウルの選手が単独でアタック。一人で30秒差をつける。そこに6名、5名、5名、と追いついていき17名の逃げ集団が残り20キロにして決まる。メイン集団では、各チーム選手を送り込めたので消極的になり、いっきにペースダウン。最大1分40秒まで差が開きそのままフィニッシュ。メイン集団でもラスト5キロ地点で落車が起こり広浦さんが扱けるがラスト2キロで集団に追いつきました。メイン集団ではそのままなだれ込むような形でゴール。
レース全体として、チャンピオンのソウルの選手を中心に進められているなと感じました。逃げ集団の中でも一線を画しており、前日の監督会議によるソウルの監督の言動からも勝ちにこだわっているように感じました。また、メイン集団では、もう少し積極的な展開になってほしかった思うのが素直な感想です。4車線もある高速道路を封鎖して、レースを制するというのはどういう気持ちなの味わって見たいと思いました。



レースが終わりすがすがしい顔をした選手たちを見ると、うらやましいというか、少し悔しく思いサポートは向いていないなと思いました。協賛である東亜日報の取材を受けてホテルに戻りました。いざ、ソウル市内観光に出陣!レースの疲れも忘れ、韓国の伝統と文化、歴史をたくさん体験しました。
9日の朝にホテルをチェックアウト、韓国の空港で中根選手と別れ、昼過ぎに京都に到着しました。あっという間に過ぎた3日間でしたが日本では体感出来ないことがたくさんできました。この経験で学んだことを生かして選手一同努力していきたいと思います。ありがとうございました。
また、今回の遠征に山岸コーチに引率、ご指導していただきました、お忙しいなかありがとうございました。
1回生 濱野


レース映像です。
http://etv.donga.com/view.php?idxno=200911080027148&page=top



































東亜日報 日本語記事
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009110996928