ジャパンカップ観戦レポート

23日(金)の夜、急遽平野を呼びつけ、ジャパンカップ京産大からただ一人参加する木守の応援に行ってきました。
PM11:00京都東インターから出発。若干風邪気味の平野に注意しながら名神から新名神ー東名阪ー伊勢湾岸と運転し平野にスイッチ。ここからの記憶は確かでないが、もう一度交代するものの、ほとんど平野の運転で隣で爆睡。
首都高を危なげなくこなす平野に『レースもこのくらい上手く走ればいいのに…』と。
いくつかの事故や交通集中による渋滞を乗り越え、無事鹿沼に到着。
歩道の無い北関東の町並みに懐かしさでいっぱいになる。最後に宇都宮に来たのは2004年のツアーオブジャパンか?
レース会場にはAM8:00には到着。早速作新学院の山本先生を発見。音速で挨拶をすませた。
コンビニで栃木の名産『レモン牛乳??』を購入。駐車場で平野と首をかしげながら飲み込んだ。


スタート2時間前からレース会場をうろついた。
アテネ五輪代表の田代恭崇氏と談笑する機会があった。数年前のギラギラした闘争心あふれる眼差しは影を潜め、人当たりのよさそうな営業マンに変身していた彼に時間の経過を感じた。


バルセロナ五輪代表の安藤康行氏とも少しの会話を交わすことができた。1991年世界選手権で4km個人追い抜き4分36秒で走ったときのことを詳しく聞いてみた。アップは51×15で本番は50×15だったと。『やっぱり回転で走れないとだめだよ』と氏はおっしゃられた。練習内容についても伺ってみたが、才能だよねと冗談交じりにかわされてしまった。


スタート前の木守を発見。こっちに来ていることは告げてないので、あえて恐縮させることもないだろうと平野と二人で1m横をすり抜けていく木守から身を隠した。関東のアウェイ感の漂う中で集中している彼がとても頼もしく見え、ここ数年での人間的成長を感じて嬉しい気分にさせられた。

レースがスタート。登り区間で木守を待ち受ける。参加人数が多いためかすごい迫力だ。
登り区間での木守はとても余裕が無く苦しそうに見え、次の周回には居なくなるんじゃないかと何度もハラハラさせられた。
最終の登りをクリアしていく集団を見送り山を降りた。
ゴールラインの奥100mくらいの場所で集団を待ち構えた。選手たちがどのような形で姿を現すのか、鼓動が高鳴るのがわかる。日常では味わえない感覚だった。
集団が姿を現し、木守が左から大きく右にラインを変えながらスプリントしてくるのを確認した。
優勝こそならなかったが、我々は興奮状態に陥り、栃木県までの670kmの移動が報われたかのような気分になった。
今回はマトリックスパワータグチームでの研修生として、普段とは違う緊張感の中で走る苦労もあったと思う。
表彰式をチラ見し、安田大サーカスのクロちゃんと写真をとり、一目散に高速道路に向かった。

帰りは平野と二人で横浜中華街デートを楽しんだ。それはもう薄味の中華で、食べごたえも全くなく、丹後のバイト先の『紅華』のほうが200倍美味しかった。

保土ヶ谷バイパスから東名に入り、海老名から平野に運転をスイッチし、フッとうたた寝をしたかと思ったら京都東についていた。
平野の運転はそれはタフで、『練習もそれくらい…』と思わせてくれた。
25日(日)AM2:00の帰宅でした。

監督 秋田 謙


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photo:Kei Tsuji