全日本学生選手権個人ロードレース
参加選手:佐々木、岡、板谷、中村、渋谷、川島、木守
サポート:番匠谷、湊、池本
距離:181km 9km×20+1km(ゴールが1kmの登り)

上位10位内に3人が入賞し、団体成績でトップに立ち、ツールド北海道参加権獲得へ大きく駒を進めることが今大会の目標。

監督からの指示としては、板谷、渋谷、中村は後半勝負で確実に順位を拾いにいく事。
岡、佐々木、木守は前半からのエスケープに対応し、不利な状況を作り出さないようにする事。
川島にはとにかく頑張れ!!。といったもの。

今年に入って入賞を繰り返す中村をアタックさせて、そのカウンターで佐々木、岡、木守をアタックさせるという細かい作戦も実行してみるよう伝えて選手達を送り出した。

肌寒い中でのスタート。
我がチームは今大会の台風の目だとの噂が耳に入る。実際に優勝してもおかしくない実力を備えているが、レースはそれほど簡単ではない。
見通しの良いコースで、大集団が遠くを駆け抜けていく姿が美しい。

序盤から鹿屋大の吉田選手が積極的に走る。ジュニア時代から勝ち続けているこの選手は、今日のレースも勝利するに相応しい積極的な走り。
それに対し岡も充分対応しているように見える。

3周回るうちに先ほどの吉田選手を含む5名の逃げが出来上がった。差は40秒。
メンバーは吉田@鹿屋、辻本@順天、青柳@法政、湯浅@明治、漆澤@日大。

少し学生のレースに通じている者ならこのメンバーの危険度は充分に分かる。
京産大から送り込めなかったのは実力不足そのもので、自分達に都合のいい打算でレースを見ていた証拠だというほかにない。
順天のコーチから、「京産も乗っていてくれたら尚良かった」と言われた。

1分ほどの差で2〜3周は回るがその差が1分15秒に開いたとき、集団が動きを止めた。
逃げの5名が集団を振り切った瞬間だ。こうなると逃げ集団は勇気づけられ、突き進みその差を一気に2分30秒にまで広げた。

その頃には京産は5名しか集団に残っていなかった。岡、佐々木、渋谷、中村、木守。
中村がパンクに見舞われるがマビックの早川のおかげもあり、すかさず集団復帰。マルコポーロチームで得た経験はなんとも頼もしい。

監督として現場で指揮をとろうとするが、監督初年度という不慣れな部分と、学生のレースから長く遠ざかっていたのとで、指示が出しにくい。
ましてや彼らはプロ選手ではないので、身を粉にしてエースの為に走るという行為が学生スポーツに相応しいものなのか、頭の中で葛藤する。
今日はおおよそ4時間半のレース。現時点でまだ2時間に達していない。前の5人との差は3分。広げていい差は4分以内と考えた。
木守と渋谷に残り1時間の時点で差を2分以内にするよう指示を出したかった。しかし、彼らが今日のレースに想いを寄せて修練を積んできたことを分かっているだけに、それを口にだす事はできなかった。
何より、この時点で渋谷、木守を失うと京産は3名となり、トラブルに見舞われた際、ツールド北海道の参加権を失うことに直結することが考えられ、5名で進めてゆくことにした。

登り坂をクリアする選手達に「残り1時間での勝負」「今いる集団での勝負」を意識するように伝える。
次に絶対にくるであろう第2の勝負の瞬間に備えるということ。今は水分補給、食料補給に徹するよう指示を出した。

その周回、ダムの対岸を走る集団が4〜5名の小集団に細分化されている。レースをかじっている者ならば大規模な落車等のトラブルがおきたことは容易に感づく。
(予想被害総額1000万円?)
京産の選手が巻き込まれていないことを祈る。

次に集団が登りに差し掛かったときには12名に絞られ、明らかに前への追撃モードに切り替わっていた。
そして京産はそこには一人も含まれていなかった。
40秒遅れて最初に現れたのが渋谷。さらに20秒遅れて佐々木。
そのあと1分遅れて中村と岡が登ってきた。岡がハンドルをまっすぐに直して欲しいというので自転車から降ろして力づくで修正しておくりだした。
誰もがパニックに陥っていた。
木守は後輪破損、ハンドル切断という状況でリタイアとなった。

その後追撃12名は9名に人数を減らし、逃げグループとの差を2分とした。しかし、落車により集められた選手達の足並みは揃わず、それ以上差が詰まっていく事はなかった。

まず、佐々木と渋谷が合流し、4名ほどで前を向いて走る。
1分遅れて岡と中村が通過する。岡の前輪がパンクしているため、予備車輪と交換した。

次の周回は渋谷が単独で登ってきた。佐々木は??????
中村と岡のグループが通過した後、自転車を担ぎながら佐々木が坂を登ってきた。
リアディレイラーが後輪に巻きついて走行不能状態。
悲壮感が漂う光景だが川島の自転車と交換し、すぐに送り出した。

ツールド北海道出場という目標から言えば絶望感に襲われた。
ばらばらで追撃している選手達をひとつにまとめたいが、それが結果的にプラスになる確証がつかめない為、選手達には個々のポジションで走らせることにした。
無線が禁止されている学生レースではその場その場の指示が出しにくい。
コース脇で声を張り上げる以外、彼らに対して何もしてやれることがない。無力感に包まれる。
静かな木曽地に叫び声が響き渡る。

北海道の出場権である上位3名の状況を調べるべく、通り過ぎていく選手達の大学名をチェックした。
確かに前のグループからは脱落したが、現時点で4名以上走っているのは京産と日大のみであった。
北海道にむけてのわずかな望みが見え隠れする。

自転車交換した佐々木のサドル高さを調整してやろうと、ディレイラーの大破した自転車からサドル高さを探る。
大きく遅れてきた佐々木のサドル高さを調整し、まだ北海道への望みが絶たれていないことを強く意識させる。

一人ひとりが少しでも前の順位を稼いでいけば、まだまだ可能だと自身をも勇気付ける。

前の5人、その次の9人の脚を観察する。
脱落しそうな選手がいれば、その選手を喰っていかなければならない。
前を走る集団が分解することを願った。
残り1時間で前の9名が分解した。ここは中村と岡の順位をあげるチャンスだ。
残り30分。中村が元気そうなので、積極的な追撃の指示を出した。
初めて攻撃の指示をだした。単独で追撃する中村は11位まで順位を上げることに成功した。
岡も順位を意識させ、見事にそれに応え13位でゴール。
常に単独で走り続けた佐々木は最後の最後で一人かわし、18位でゴール。
痙攣を繰り返しながらも主将の意地で走りきった渋谷は23位。

その結果、団体成績は3位に入ることができた。

圧倒的不利な状況から、勝負を投げ出さず最後まで全力を尽くし、痛みに耐え抜いた選手達の勇気を尊敬する。
今回の4名は本当によく走った。
しかし、その状況に陥ること自体が弱さの証明であり、今後絶対に繰り返してはいけない失敗である。
各自、トラブルに巻き込まれないように何をすべきか、もう一度考え直す必要がある。
完走者が4回生と3回生。参加規程ができ一回生が出場していないという状況は、チームの高齢化という課題を浮かび上げる。
今回の4人の走りから1回生は多くを学ぶことが出来たはずだが、京都に居残り練習ということで少し残念な気持ちにもなった。
長野県という遠方に遠征する以上、気候の違いを意識し、少し厚めの服を準備することはレースを走る以前の問題で、そこから改善する必要のある選手も見受けられた。

今回、OBでありコーチの早川には多くの惜しみない協力を頂いたことに感謝する。
また明治大学コーチの吉井功治氏にも、選手達のトラブル対処に大きな尽力を頂いた。
学校間を超えたサポートに厚くお礼申し上げます。

監督 秋田 謙

http://www.remus.dti.ne.jp/~jicf/r080615.pdf