第24回 ツール・ド・おきなわ 

チャンピオンレース




ツール・ド・北海道に続き、ツール・ド・おきなわに出場してきました。カテゴリーはUCIカテゴリーのチャンピオンレースで210kmで行われ、京都産業大学チームとしてはシーズン最後のレースで、絶不調で何もできないどころかまともに走れていなかった広島の生口島が終わってからも雨や気温に関係なく走り込んで仕上げてきました。

また今年の3月には1ヶ月間の沖縄合宿をしていて、コースをしっかり走り込んでいたので、容易に頭の中でコースを思い浮かべながら練習ができ、コースについては完璧なイメージが出来上がっていたのですが、逆にコースの厳しさを知っていたので不安もありました。




監督からのオーダーは「本部半島を回った後のアーチ型の橋の頂上から田中と谷口ペアでアタックしろ」「本部半島で逃げができたら2回目の普久川の登りまでにメイン集団と3分以内にすること」でした。

展開は予想通りスタートしてからすぐ3km地点でアタックが始まりドラパックの外人選手とマトリックスの池部さんの2人が抜け出し、本部半島を回り終える頃には10分程も差ができてしまっていて、追走集団も形成されていませんでした。

この時点で田中と「逃げができるのは予想していた事。想定の範囲内だ」ってことで予定通りの場所で抜け出そうと決め、本部半島から再び58号線に戻ってすぐのアーチ型の橋の上から掛け下ろそうとしたのですが、どのチームも考えることは同じで一気に60kmペースまで上がって橋の下りを利用したアタックは誰一人として抜け出すことはできませんでした。




その後のアタック祭りでシマノレーシングNIPPOの選手のアタックに何度も田中と交互に反応して追いましたが愛三やBSやブリッツェンなどの他のチームのコントロールで逃げ出せない状況が続き、一度シマノレーシングの選手と鍵本さんが抜け出ましたがすぐに吸収されてしまいオーダー通りの逃げが作れない状況に焦りを感じ始め「このままじゃ今まで通り何もできずに終わってしまう」と思った時に先頭を固めていたBSとシマノがお互いに牽制に入ったように見えたので一回先頭まで上がってヒョロヒョロっと抜け出してから一気にシッティングで加速していくと誰も追ってきていなかったのでそのまま一人で逃げ出して走っているとMAVICカーから「メイン集団から1分差で30秒後ろに追走が2人居る」と言わ れ、そのまま走っていると「メイン集団から2分差で追走2人が20秒差になった」と言われ、メンバーを聞くとシマノレーシング鹿屋体育大学の選手。




少しペースを落としつつ追走の2人と合流すると、そこには居たのはシマノレーシングの入部さんと鹿屋体育大学の徳田さんで、助かったと思って3人でローテを始めたとたんに吐き気がして朝食べた物をすべてやんばるの絶景広がる道にぶちまけてしまい、後ろの入部さんにも多少の被害が出たかもしれません・・・・




吐いてすっきりした部分もあったのですが、失った物も多く、なんとも気分の悪い状況で普久川の登りに入り、途中シマノレーシングの野寺監督に「3分差あるからめちゃくちゃゆっくり登ってもいい」と言われ、3人で登っていたのですが自分のゆっくりと2人の選手のゆっくりが違うのは明白で、少しずつ距離が離れて行き、登りきるころには1分差になっていました。

しかし、ちょうど登り切ったところでメイン集団からいつのまにか抜け出してきたNIPPOの中根さんとスペシャライズドとドラパックの外人2人の3人が追いついてきたので、そのままチョイノリして一気に入部さんと徳田さんの逃げまで追い付いたのですが、さらに5分〜6分先を単独で逃げている池部さんを吸収するべく加速は止まず、そのまま裏のアップダウンで切れてしまい、その後メイン集団もそのままスルーして、レースの争いから消えてしまいました。




長々と凄い事をしたように書きましたが、レース全体から見ると逃げて千切れていった選手というだけで何か結果になるようなことをした訳でもありません。

しかし、競技を始めた頃に憧れていたチームや選手と同じホテルに泊まり、同じ食事をし、選手と話をして、同じ舞台で戦うチャンスを貰い、走れたことは北海道も含めて学ぶことは大きかったです。

そして、集団の先頭にすら一回も出れなかった北海道とは違い、今回は集団の先頭で田中と一緒になってプロチームを相手にアタックに反応したり、単独で抜け出し、追走集団を作れたことは自分の中ですごく良い経験になったし、自分のようにまだまだ経験の浅い選手にとっては大きな収穫でした。




2回のUCIカテゴリーのレースに出て、プロのレースを走って感じた事や、思うようにいかなかった事、あっけにとられるようなことまで全てが新鮮で、学生レースでは感じない周りの選手が全員プロチームだという緊張感。また、単独で逃げている時の沿道の応援や市民レースのスタート地点などで人が多く集まっているところでの全員の大きな応援が全て自分一人に向けられている時の高揚感は今でも忘れられません。




周りから見ると小さなことですが、今回は自分の中で大きく成長できたレースでした。今回の感覚や学んだことを生かして次のレースに備えて、色々な状況に対応できる能力を付けていきたいと思います。




そして3日間の沖縄遠征で監督の仕事からサポートまで全て1人でやって頂いた秋田監督ありがとうございました。




吉岡 FAD

鍵本 FAD

南野 DNF

谷口 DNF

田中 DNF




※DNF選手も市民レースに混ざりながら210km走り切り、その後全員で名護から那覇まで60km自走で宿まで帰りました。







1回生 谷口